凡夫の叙情とエッセイ

頭で考えたり心で考えたりして書き散らす

夢の記録。百鬼夜行

夢の中に滅茶苦茶たくさんの虫が出てきた。
初めは家に蚊がたくさんでるようになった。
それからダニがでて、トンボが出て、カマキリが出て……。
どうしようもなくて、引っ越しを真剣に考え始めた頃ゾロゾロと、虫を始めとした百鬼夜行のような奇々怪々な行列が出てきた。
俺はただ息を潜めて、過ぎるのを待った。
けれど仲に知り合いが居たものだからこれはいけないと思って、勇気を絞って声をかけた。
「お前も、ついていくのか?」
「ああ楽しいだろ、お祭り騒ぎだ」
「ここに、いないか」
「でもせっかくの行列だ」
「ここに、いてくれよ」
半ば強引に腕を引っ張って行列から引きずり出した。
一瞬、行列達が俺をチラリと見たので背筋が冷えたがそのまま前へ前へとすすんでいった。
やがて行列は全て窓の向こうへ消えて、俺とその知り合いは呆然とした。
その日から虫は出なくなった。

科白に求め過ぎるという事

ただ、何かを賛美するという事にも俺は随分と逡巡する。
言葉の重み、意図、意味、効果、行く先、質感、精度、義理……。
なんとはなしそんな事を思い始める。
それは多くの人にとっては見ないし、見えない事で、くだらない齟齬を生む。
俺の言葉は迷いや疑いに満ちていて、曖昧のように複雑だ。

だから俺の気持ちなど人に見えるわけもないし、むしろ胡散臭くて嫌味なやつにさえ見えることだろう。
好意の一つさえうまく伝わりゃしない。馬鹿者だ。

当然、人からの賛美をさえ考察して意図や純度を測る。
そうして大方人の好意を取りこぼす。
幸福一つさえまともに受け取れぬ馬鹿者だ。

バミる

人の正義は人の都合によってあるのだと思っていたが、きっと都合ではなく人の立場によって変わるのだ。

人の都合を見ても仕方がない。その人がどんな立場に居て、どんな立場を望むのかを見極める事が大事だ。

それが例えその人の不幸せでも、そのひとの惰性でも、およそ幾らかの甘い香りとともに立場から正義感は生じる。

そんな気がした。

命の短い真実に無責任な厳格さ

一端の詩人を気取って、なのか、普遍的なあり方を求め過ぎてしまう。
答えを求め過ぎてしまう。

刹那的に、無意味に、何一つ美しくなく、ただどうしようもなくあるがままにあったっていいのに。
どうしてそこに時間や意味や重みを求めてしまうのか。
儚さにさえ満たなくたって美しかろうに……。

なんだかんだ求め過ぎてしまうね。

考え過ぎなんだよ。何でもかんでも。

考え過ぎなんだよ。お前は。

一人暮らしの体脂肪率

一人暮らしの汚れはどうしてか、受け入れられる。

時には汗ばむ身体のような不快さも当然あるけれど、大方まるで我が体内のようになんということはない。

それに、日々の連続を僕は知っているんだ。切れ間のない日々のその変化に人は疎い。少なくとも僕はそうだ。

僕の温度に染まった日々はやはり体内のようで、それは常識という柔らかさで僕を包み、毛布のような安堵感を時には与える。

僕は僕に気付けない。

日々は緩やかに贅肉をつける。

埃は部屋を幾分丸くする。

溜息は部屋に溶けて消えた。

ああ、洗い物でもするか。そうしよう。

人の命は……

万能ではない僕らがそれでも欲深く、何かを大切に思うのならば「なるようになる」そう思わずしてどうして大切に思えようか。

万能ではない僕らがそれでも欲深く、行動を起こすのならば「駄目で元々」そう思わずしてどうして甘んじずに居られようか。

我が意一つ、思うままにはできないのにそれでも愛着し、成功をのぞむ。幸福を望む。

身の程知らず。それで何が可笑しかろうか。

身の程を知り、満ち足りたとして、嗚呼夢がなければ人の命は軽すぎる。

何をいわんや、ならばただ軽いのだろうと言う者はあるか? あああるだろう。

しかして、夢を持つのが人の真か、あるがまま無能こそが人の真か。

皆まで言うまい。夢がなければ、人の命は軽すぎる。それだけの事だ。