凡夫の叙情とエッセイ

頭で考えたり心で考えたりして書き散らす

勝つためには勝たなければならない

勝つ事を望むなら負けてもいい。
負けない事を望むなら勝たなくてもいい。

勝ちたい事は負けてでも勝て。やりたい事は駄作でもやれ。

そうでもないものは欲張るな。

 

──きっと人生は長い。
だけど自分からあれこれやるには人の時は早すぎる。
生活が、仕事が、小さな幸せが……。その数々が日々を埋めてゆく。
記憶にも残らないような記録が、生涯の容量を圧迫していくんだ。

何でも勝ちとれたならどれだけ素晴らしいだろうか。
美食を知り、芸術をこなし、何人もの素敵な異性とドラマを過ごし、大した不安もなく豊かな人生を歩む。
恥じる老いのない心で、晩年にはユーモアな年輪を垣間見せる人生観を話す。

僕はすべて欲しいと思う。
だけど、僕の欲を買う人が居なければ、投げ銭だって降ってこない。
自分から出来ることなんて少ないんだ。人から与えられない限りたくさんを得ることなんて出来ない。

だから僕が勝とうと出来ることなんて本当に少ないんだ。
勝ちたい事は、ちゃんと絞らなければならない。こぼれたものは仕方がない。
綺麗に言えば、誰かに譲るべきものだ。

僕は何を望むのか。勝ちたいと、出来るようになりたいと可能性を求める事はなんなのか。
その答えはずっと持っている。僕自身が深くとらわれている物事だ。生活にも会話にも積み重なっている。

しかしよくよく見つめて僕は、それらの物事を「勝ちたい」ではなく「負けたくない」と思っていた事に気付いた。全くもって似て非なる思考だ。
「負け」というやつは色々あるのだろうが、僕は恥や劣等感、無能の実感、理想との大差、無駄や徒労感……。そのようなものだと思っている。

「負けたくない」
そう思う限り、それらと向き合うことは難しくなってくる。
何故なら目的は「勝ち」ではなく「負けない」だからだ。詰まるところ勝たなくてもいいのだ。

勿論、それは大切な心だ。しかし賢明な躊躇や思慮ある恥じらいであればという注釈はつくし、志にするような事ではない。

だから僕は本当に望むことは「勝ちたい」と思うべきだと感じる。
勝つためには、勝たなければならない。
それに人生は人の身に余る物事でもない限り、無限コンティニューが可能だから時間の許す限り何度でも負けられる。
むしろ負けるべきといってもいい程なのだ。

勝つ事を望むなら負けてもいい。
負けない事を望むなら勝たなくてもいい。

勝ちたい事は負けてでも勝て。やりたい事は駄作でもやれ。

そうでもないものは欲張るな。

今日日、僕はそう思う。
身の程を楽しもう。負けは苦しいけど、それが情熱ってやつだし、熱いだろ?
活きることは幸せだよ。